oasismathの日記

趣味として楽しんでいる料理やワイン、家族がみんな大好きな音楽やダンスの話など、雑多なテーマについて書き綴るブログ。

突然ですが、人間は何のために生まれてきたのですか?

そんな中二病みたいなことを言い出した人が私の周りにヒョコヒョコ現れたので、少し立ち止まって考えてみました。

 

生物的に考えれば、生まれてきて大人になって子孫を残して自分のDNAを後世に残すことができれば、生まれてきた役割を果たすことができたといえるでしょう。(最近、セミの死骸を道端でよく見かけますが、このセミは生きた甲斐があっただろうかとふと考えたりします。)

そして、もう少し人間としての社会的側面を考えれば、単に生物としてのDNAだけでなく、記憶や業績、名声や歴史的偉業なんかを残すことができれば、生きた甲斐があっただろうと考えたりするかもしれません。

 

でも、スポーツでのイチロー選手や理論物理学者のアインシュタインのように大きな偉業を成し遂げるのはごく一部の人間だけですし、そもそも業績を残さなければ人間として生きた価値はないのでしょうか?

 

私が思うに、何か素晴らしいことを行う人(や組織)の周りには、そこには仲間や応援団、あるいはファンがいます。そして、その人の業績が素晴らしいかどうかは、その人の周りにいる仲間やファンたちによって評価されます。つまり、その人が後世に名を残すような偉業を成し遂げる裏には、その人を応援し共感し、感動する大勢のファンがいて初めて成り立ちます。

もちろん、これは偉業を成し遂げる人だけでなく、より身近な人々に対する小さなことでも成り立つと思います。そしてその場合は、歴史に名が残らなくても、小さな喜びでも十分価値のあるものでしょう。

今までハイハイしていた赤ちゃんが歩き始めた時、赤ちゃんにとってのその”偉業”は親たちを喜ばせます。そしてその時、立った側の赤ちゃんも、それを初めて見た親たちも心の底から喜びます。その瞬間、両方の人生において生きた甲斐があったのではないでしょうか?

自分が高校や大学受験に合格した時、自分の小さな”偉業”に親や喜んでくれたのではないでしょうか?そして今度はそれが逆の立場になり、自分が子供達を応援し、何かを達成した時、その喜びとともに生きた甲斐があったと思うのではないでしょうか?

 

そして、このような与える、与えられる達成感は、単に困難なことを乗り越えた以外にも当てはまると思います。食べ物だって、旅行だって同じように感動すれば、その素晴らしいものを提供して下さった人に感謝するとともに「あー、生きててよかった!」と思うのではないでしょうか?

 

こうして考えてみると、人間は何のために生きているかと言えば、誰かと喜びを分かち合うために生きているのではないかと思います。逆に言えば、一方向限りの喜びは双方にとって生きた甲斐がないのかもしれません。ある人から見て極めて喜ばしいことでも、逆の立場からは氏ねばいいなんて思われることは、お互い生きた甲斐がないでしょう。

 

ということで、「人生は喜びを感じるために、そしてそれを誰かと分かち合うために生まれてきた!」というのが今のところの私の結論です。

 

一人でご飯食べに行ったって、そこで美味しい料理を食べれば写真に撮って、友達やブログでシェアしたくなりますよね!

そして、一人だけでなく、誰かと一緒に旅行に行ったり、何かを体験したりすれば喜びは倍増しますよね!

 

嫌なことなんかやめて、もっと楽しいことをしてどんどん分かち合いましょう!!もちろんそれは一方通行にならないようにだけは十分注意してくださいね!!

 

ところで、あんたは今何が一番やりたいんだって?

実はさ〜、人間として生まれて来たからにはどうしても人生で一度は飲みたいワインがあるんですよ〜!!私も喜ぶと共に、偉大な生産者であるパカレも喜んでくれるでしょう!!

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ということで、結局はただ単に旨いワインが飲みたいなーというだけのしょうもない落ちでした。

それではこのへんで、お休みなさい。