oasismathの日記

趣味として楽しんでいる料理やワイン、家族がみんな大好きな音楽やダンスの話など、雑多なテーマについて書き綴るブログ。

【読書感想】『言ってはいけない ー残酷すぎる真実ー』(新潮新書)橘 玲 著

通勤電車の行き帰りに読書は程々にしているのですが、特段まとめることもないので、時間の経過とともに本の内容も徐々に薄らいでいきます。

 

そんな中で、この本、『言ってはいけない ー残酷すぎる真実ー』(新潮新書)橘 玲 著は心に引っかかるものがありましたので、いい機会なので思ったことをまとめてみたいと思います。 

言ってはいけない 残酷すぎる真実 (新潮新書)

言ってはいけない 残酷すぎる真実 (新潮新書)

 

 

まず、この本は「バカは遺伝なのか」という衝撃的なタイトルからはじまります。容姿の良い親からは美男・美女が生まれ、身体能力の高い種族からは同様に身体能力の高い子どもが生まれる。ならば、「子どもの成績が悪いのは親が馬鹿だから」は真なのだろうかと、どストレートな問題提起をしてきます。

それに対して、社会通念としては”知能は遺伝するものではなく、個人の努力によって獲得するものだ”というのが正しい答えだと思いますが、行動遺伝学の世界では論理的推論能力の遺伝率は68%、一般知能(IQ)の遺伝率は77%だという身も蓋もない結論を最初に述べてきます。あまりにはっきりしていて清々しいくらいですね。

 

このように知能の遺伝からストーリーが始まり、精神病の遺伝、さらには犯罪者、反社会的な人間も遺伝するのかという、どう考えてもタブーだろうという話を実証研究をもとに残酷に語っていきます。

その背後にある人間の遺伝的要因、さらにはホルモンの分泌の強さの話などを読んでいくと、人間は体内にあるメカニズムから発生してくる諸々の現象からは逃れられないだろうなあと妙に納得させられます。

 

そうすると、ふと疑問が湧いてきます。全てのものが遺伝で決まるのならば努力は無駄なのだろうかと。そして、この本の最後のテーマとなっている、子どもを育てるための家庭環境は、その子の将来に影響を及ぼさないのだろうかと。

 

実はそれについてもこの本では語られています。子どもに対する親の影響は実は殆ど無く、その子の成人したときの人格形成は、既に遺伝子によって組み込まれている遺伝的情報と親以外の環境要因によって決まるものだということです。それぞれがどのように決まるかは、カテゴリーによって変わってくるものであり、例えば音楽の才能は遺伝で92%、数学の才能は遺伝で87%で決まるらしく、さらには精神疾患自閉症等の精神的な病気については非常に高い比率で遺伝するということらしいです。逆に親が影響を及ぼせる分野は、言語や宗教(心情)などごく一部の領域らしいです。

 

一方で、この本の中で語られているもう一つ重要なことは、親そのものが子どもに与えられる影響は殆どないけれども、実は子どもは環境からも学んでいくということです。

 

つまり人間というのは環境によっても人格形成(さらには人生そのもの)が大きく左右されるということです。ということは、親は子供に対して直接的には影響をおよぼすことは殆ど出来ないけれども、子どもへの環境をコントロールすることで間接的に子どもに影響を及ぼすことが出来るということです。

 

みなさん、実体験で感じているとおり、人間とは自分の直接的な周りの人によって大きく影響を受けます。もし自分がヤンキーの世界にいれば、その中で自分がいかに下位層にならかいかと努力するだろうし、もし自分が進学校に入学したとしたらその中で優等生を目指すのか、はたまた悪ガキグループを形成しその中での相対的に優位なポジションを獲得するためにどう振る舞えば良いかを考えるでしょう。

 

ということは、親にとって子どものために出来ることは、まず子どもが持つ遺伝的な能力に親が気づいてあげるということです。これは自分が〜ができるから子どもも〜ができると言うこととは違います。残念ながら、子供というのは親の100%のコピーではなく、両親から受け継いだ半分づつの遺伝子によって決定づけられます。だから、もし自分が特定の分野で強烈な得意分野を持っていたとすると、配偶者の遺伝子がその分野に対して同様に才能を持っていない限り、おそらくは能力は薄まってしまうだろうと思われます。つまり親の最も得なところについては、子どもは親を超えられないということです。でもその優れた遺伝子の半分は受け継いでいるならば、自分の得意分野の結構近い所に子どもが発揮できる真の才能があるのではないかと。まずはこれに気づいてあげることがとても大事です。

おそらく一番最悪なのは、自分は、そして旦那は〜が苦手だったけど、子どもにはそうなってほしくないので〜を是非やらせて親の夢を叶えて欲しいということではないでしょうか?遺伝的な才能のない所に努力を注ぎ込ませるのは、無駄意外の何者でもありません。

 

次に、才能に気づいたときにどうやって環境を用意させるかということです。でも環境を用意させるというのは非常に微妙な難しい問題で、人間というのはある環境の中で出来るだけ心地よいポジションを獲得するために行動を取るのです。

例えばある子どもがそこそこ勉強ができるとしましょう。そしてその子が勉強のできるいい中学、いい高校に入ったとしましょう。そして、その子がいい学校に入った時、自分がその学校の中で相対的なポジションが上位なのか、下位なのかによってその子の運命が真逆になってしまうということです。相対的に上位ならそのポジションを更に高めるために頑張って勉強をします。でも下位グループに入ってしまったら、もはや勉強では勝てないと判断し、勉強以外のこと(不良度とか勉強以外の差別化)で頑張ってしまうのです。

ということは、親がすべきことは、その子にとって遺伝的に優位と思われる分野について、その子をその環境の中に放り込んで、さらにその環境の中で上位グループに所属できるように促すことでなないだろうかと。

 

これが、私がこの本を読んで導き出した結論です。

 

この結論は、実証的に検証されたものかどうかはわかりませんが、でも自分の心のなかでは腑に落ちました。なので、この方針に沿って、どれだけ影響させられるかは分からない子育てというものに関わっていきたいと思います。

 

今宵は何だか長くなってしまいました。

それではお休みなさい。

 

べべろん