oasismathの日記

趣味として楽しんでいる料理やワイン、家族がみんな大好きな音楽やダンスの話など、雑多なテーマについて書き綴るブログ。

算数の掛け算で順序が違うとバツになることについて(後編)

先日、掛け算には順序があるという指導が我が家のアチコにあり、それはどういう意味でしょうか?と先生にお手紙を書いたところ、是非学校でお話ししましょうということになり、学校に行ってお話を伺ってきました。

 

前編はこちら→ 算数の掛け算で順序が違うとバツになることについて - oasismathの日記

 

こちらからの主張は以下の通り:
  1. 掛け算の順序は、見方を変えれば逆にしても全く問題なく、文章問題で順番を逆に書いていたとしてもバツをつけるのはやりすぎではないか?
  2. 掛け算の順番の感覚は言語に依存する。(何かが2倍と言うとき、日本では”✕2”と書くが、英語圏は”2✕”と書く。英語でTwo times Three = 2✕3は 3が2つの意味で日本では3✕2と同義。)このように国によって書き方の順番はマチマチであり、そうであれば掛け算の順番が逆でも答えをバツにするのはおかしいのではないか?
  3. 日本語と相性の良い掛け算の順番は、中学から始まる数字と文字式の並び順と逆になる。つまり数学から世界共通の慣習ある英語圏の書き方に変わる。(数字の2と文字式のyがあったら、中学では掛け算した値は2yとなるが、小学校のきまりだとy✕2が適正な書き方となる)
 
これに対する学校側からの反応:
  1. 小学校2年生はまだ足し算・引き算を習ってすぐの段階の子供であり、掛け算の順番を変えてもどっちでもいいと言うと混乱する子供が多い。そのため身の回りにあるアメ玉の入った袋を例にして、「袋にアメが何個入ってる?その袋が何袋ある?」などから掛け算の意味を教えている。そのように指導しているのでその指導通りに答えが書けているかをテストで確認している。(そのため指導通り出ない場合バツとして再教育する。)
  2. 確かに世界では逆のケースも有る。しかしこの教科書は日本語圏の子供をターゲットとした教科書であり、その子供達の生活に即しながら算数を学んで行くためのもの。そのため今教えている順序を大事にしている。ただし時代が変われば、内容も変わるかもしれない。
  3. 実際、小学生の算数から中学生の数学に変わる段階で大きな壁がある。そこでついていけなくなる子供も多い。現在小学校と中学校で教員が相互に訪問し、ギャップを埋める努力をしているが、まだまだ課題は多い。

 

ということで、結局掛け算の順番を逆にした場合にバツにする理由は、「掛け算というものを知らない小学生に対して、日本語圏を前提とした実生活をもとに掛け算の意味を教えており、その教えた通りの内容を理解しているかどうかをテストで確認している。その通りでなければバツとし、(落ちこぼれが出ないように)改めて内容の徹底を行うことで掛け算を理解させるよう務めている。」とまとめられるでしょう。

 

まあ分からなくもないですが、結局は学校側(というか文科省を中心とする公立学校全般)の望みは、複数の観点から物事を見ることができる優秀な学生を育てることが目的ではなく、できるだけ落ちこぼれを無くす不幸最小化社会を実現することが最大の目的のように感じました。(当然そうでないと思う先生も多いとは思いますが)

 

これってどこかで感じたような気がしましたが、ふと自動車教習所学校で感じた感覚と一緒だなと思いました。

「ハンドルの持ち方は10時10分」、「一時停止では白線前で3秒車を停止」、「車を出発する前に進行方向の車の前を歩行し障害物や子供などがいないことを確認」、「標識に書かれた制限速度は厳守」、... 。

ああ、これね、確かにこれを守っていれば事故が起きる確率は相当低いでしょう。でも実際は%&$#¥.... ですよね〜。(以下省略、当然私は交通ルール守ってますよ〜!一般論の話ですよ〜!!)

 

確かに落ちこぼれが出ないように教育方針を組み立てることは重要でしょう。それについて教科書は物凄い努力を払っているでしょう。(もし自分が無知の小学生1年生から6年生まで、必要な知識を身につけさせるために労力最小化、効果最大化を目指す教科書を作れと言われたら投げ出したくなるかもしれません。)

しかしそれと同じくらい、優秀な子供の好奇心に火をつけるような教育も重要ではないかと私は思います。掛け算の順序を変えても、答えが変わらないことの証明方法は数多くあるように思います。(優秀な生徒は、1つの答えを導くのに何通りものやり方がることを知り、その中でもエレガントな方法で答えを出す方法を見つけると感動を覚え、より勉強が好きになります。)

 

今までの日本の高度成長において、製造業を中心とした労働者を教育するために、落ちこぼれ最小化の教育方針は最も効果的だったかもしれません。しかし日本は既に先進国のトップクラスに仲間入りしてしまいました。そこでは教えられたものを確実にこなすだけの人材は付加価値を出せません。より複数の観点から物事を見て、誰も想像しなかった解法を見つけた人が、次の日本の付加価値を創造し、切り開く人材となっていきます。

 

このようなことを考えると、日本の公立の教育はこれでいいのか?うちの子供たちは、このような教育にどっぷり浸からせていいのかと考えてしまいます。

だからといって私立に行けばいいとかいう答えでも無い気がしていて、すこし時間をかけてじっくり考えていきたいと思います。

 

何だか話しの落とし所が無く、尻切れトンボになっているような気がしますが、本日年内出社最終日で開放感に浸ってワインを飲み、酔っ払って書いているということでご容赦下さい。

 

それでは皆さん、良いお年を!!

 

P.S.

1年は365日、1日は24時間、1時間は60分、1分は60秒です。では2年は何秒ですかという問題が出たら、以下が正しい式と答えですよ〜。

(式) 60✕60✕24✕365✕2=63,072,000(秒)